小説 「時の朱色」 第2回 銀座にて

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銀座泰明小学校近く。煉瓦造りのビルは路地を入ってすぐの所にあった。頼子に会うのは約一年ぶりだ。ドアにはポスターが貼りだされ、大きなガラス窓からは室内が見えた。頼子の後ろ姿が見えて思わず頬がほころんだ。白いゆったりとしたブラウスにくるぶしまである紺碧色の巻きスカートをはいている。店内の誰よりも背が高く腰の高さに目を引かれるそのスタイルは昔のままだ。そっと室内に足を踏み入れると壁に掛けられた何十枚もの絵が目に飛び込んで来た。頼子の世界だ。

「あ、」

ふいに振り返って僕を見つけた頼子が笑顔を見せた。一歩一歩踏みしめるように進んで行くと頼子が駆け寄って来た。

「よく来てくれたわね。ありがとう」

その声は明るかった。

「最終日で申し訳無い」

「こっちこそ。折角のお休みなのに」

「休みの日じゃなきゃ来れないからさ」

「ほんと、そうよね。五時過ぎたら働かないって決めてるのよ。ごめんなさい」

「自由人だな」

頼子は視線をはずしてクスリと笑った。

「自由人に見える?光栄だわ」

「白鳥の様に見えてるよ。僕にはその水面下が見えてないからね」

「バタバタしてるのよ」

「大丈夫。誰にも気付かれてない」

頼子は一瞬肩をすくめ、ジョークを込めて微笑んだ。

「で、調子は?」

と、僕は、言った。

「衝動買いしてもらえるような絵をもっと描かなきゃってかーんじ。でもね、私の絵で何を感じてくれてるのかは分からないけど、でも私の絵を心の中に飾ってくれてるって、そういう表情を見るととっても嬉しいの」

「立派に芸術家してるな」

「だって、これしか出来ないんだもん」

にっこりと笑う頼子の美しい顔立ちがさらに美しくなった。

「来た早々だけど、この後食事しない?予定は?」

と、頼子が弾んだ声で言った。

「あるって言いたい所だけど、正直に無いと答えるよ」

「よろしい。ね、すぐ近くにいい店があるの。付き合ってくれるでしょう」

「付き合いますとも」

「ありがと。それまでじっくり観てってね。じゃ、後程」

他にも知り合いが来ているらしく頼子は胸の前に手を挙げると僕にそっと背を向けた。終了時間迄あと三十分程。頼子の全ての絵を観ようと僕は部屋の端に身を寄せた。人物の絵が多い。そしてその多くは褐色の肌をした女性達だ。皆色鮮やかな衣装をまとっている。そして皆美しい瞳を何かに向けている。そこにあるのは満たされた安息。僕は、思った。頼子が描く人物には共通して〝今〟があるのだ。その瞳には過去や未来に対する陰りが無い。恐らく今の頼子の人生に対する結論なのかも知れない。そんな事を思いながら絵に向かい合うと、自分は一体いつを生きているのだろう。そんな気にさえなってくる。絵に費やした頼子の膨大な時間が僕の目の前にあった。終了迄あと数分になった時だ。入り口から入って来た人影が視界に入った。何となく視線を向けると一人の女性だった。弾みというか何と言うか、目が合ってしまった。若くも見えるし、自分とそう変わらない様にも見える。その瞳が数秒僕を捕えた様に感じたが、とても自然に進んで来るので僕は一番近くにあった椅子に座る女性の絵に目をやった。その僕の横を通り過ぎた女性は部屋の真ん中まで行くと、すっと一枚の絵に向かって歩みを進めた。ちょっと肩すかしを食らった気分だ。頼子の絵を観に来る客層は様々だった。若い女性もいれば、親程の人もいる。小声で話している内容をそっと聞いてみると、頼子の才能を称えている事が多い。僕は自分の事でもないのに妙な優越感を覚え、自分の存在までもが特別なものに思えてくるのだった。

「あの絵、おいくらですか?」

ふと聞こえて来た声は僕の気を引いた。振り向くと、先程目が合った女性が頼子に尋ねている。

「どの絵ですか?」

と、頼子が応えた。

「海岸で日光浴している、あの絵です」

「あれは、ちょっと待って下さいね」

頼子は、口ごもった。

「あの絵には値段が無いの。ちょっと特別な絵で。ごめんなさい。なので売り物でもないんです。」

その答えを聞いて残念そうに絵を見上げる女性の横顔が見えた。頼子と並んで立っている所を見ると同じ位の身長だ。

「売約済みでよかったかも。買えない額だったらもっと残念だから」

「似た様なので、小さいサイズならあるのだけど、今日は展示していないの。もし良かったらアトリエにいらっしゃらない?画廊も兼ねてるの。場所は烏山で、ちょっと待って。地図があるわ。ここね」

頼子が名刺を渡すと女性は快く受け取り笑顔を見せた。終了間近だった。そこへ四人組の年輩の女性達が押し掛ける様に入り込んで来た。僕も頼子も思わず入口に顔を向けた。聞こえて来る口調からすると観光客の様だ。せわしない会話から集合時間が迫っているらしい事が窺えた。室内を物色する様に慌てて眺めている。その声は良く響いた。僕は、孤独ぶって絵の鑑賞を続けたが室内の様子をそれとなく気にもしていた。

「これ、いいやん」

と、その内の一人が声を上げたのはまさしく展示会終了時刻となった時だった。たった今、頼子が女性に販売を断ったばかりの絵を指差している。

「これ、いくらやの?」

その声は一際大きく響いた。他の客は殆どいなくなっていてほぼプライベート会場状態だ。旅行中で気が大きくなっているのだろう、声の主は遠慮の無い声でグループ仲間と盛り上がっている。

「聞いてみればいいやん」

と、一人が言ったのが聞こえた。

「そうやね。聞いてみるわ。ね、これこれ、なんぼ?」

と、大きな声は頼子の方へ向かって響いた。洒落た頼子の存在が質問を向ける的であると分かったのだろう。頼子はその客の方へ静かに歩みよると先程と同じ事をその客へ伝え、そして、詫びた。

「もう一枚位あるやろ」

また直ぐに聞こえたその声。僕は思わず振り返って見てしまった。絶対の自信と勝利の目算、そして思った事は言い通す気の強さがその笑いかけた口元に浮かんでいるのが見えた。頼子の言葉を待つ数秒の間に、その女性はなんと僕をも見て、

「ちょっと待ってな。私が先やから」

と、言った。頼子の顔が不意討ちをつかれた様に目が丸くなっている。僕は思わず吹き出しそうになった。

「いえ、あの、もう一枚はございません」

と、頼子がたどたどしく答えた。

「あかんな。スペア位描いとかんと、商売にならへんよ」

時間が迫っているのか客は気がせっているらしく口調が早い。

「絵は一点限りですので」

「ほな、似た様なのでもかまへんけど。無い?」

「ここには出ているだけでして」

「折角来たのに」

「申し訳ありません」

僕は、頼子を見守った。

「ほな、うちら今から大阪へ帰らなあかんから、もう一枚描いて送ってくれへん?」

客は愛想笑いをして頼子を口説いた。

「そういった事は致しかねまして」

救いを求める頼子の瞳がふいに僕に向けられた。必要とあらば僕だって遠慮はしない性質だ。

「あの、その絵、僕が買ったんですが。折角ですがキャンセルはしません。それに、購入は中村絵画協会を通してのオフィシャルなものなので、個人での購入ではないんです」

僕は、その客に向かってゆっくりと説明した。いや、正確にはゆっくりと嘘の説明をした。

「そうなんです。申し訳ありません」

と、頼子が続けた。

「なんや、ややこしなあ」

客はぶっきらぼうに呟くと、ほな、ええわ、と言って身を翻し入って来た人数で集まると室内の一角にあるグッズコーナーに歩み寄り絵ハガキを買って瞬く間に出て行ってしまった。あっという間の出来事だった。突然の嵐が過ぎて、頼子の肩からは力が抜けているのが分かった。頼子自身も僕の顔を見ておかしな安堵の表情をするので僕はそれに応える様に苦笑してみせた。

「夕食、ごちそうするわ」

頼子らしいゆったりとした口調が戻って僕は何故かまたおかしくなって笑い出した。僕達は最後の客が出るのを待っていた。例の入口で僕と目が合った女性だった。先程までの騒々しさから少し離れて部屋の片隅の絵を眺めていたのだ。そして、レジにやって来たのは絵ハガキを購入するためだった。

「これ、お願いします」

「ありがとうございます。良かったら烏山の画廊へも来て下さいね」

「はい。欲しい絵ばかりで困ると思いますけど」

「気軽に買えるものもありますから」

「ええ。あの、」

女性は、日本人にしては珍しく打ち解けた雰囲気で頼子と会話していた。

「はい?」

「絵の注文て、受けていただけるんでしょうか?」

女性の口調はちょっと控えめになった。

「注文、ですか?」

「もし可能でしたら、お願いしたいんです。突然こんな事を言って失礼だとは思っています。勿論、お支払出来る額だったらの話ですけど」

頼子がちらと僕の顔を見た。僕はお手上げ状態の白旗を揚げていた。

「御免なさい。注文はお受けしていないの」

「そうですか。こちらこそ、突然無理言ってすみません。何て言うか、深見さんがお描きになる絵があまりにも素敵だから、つい」

「うれしいわ。そう言っていただけると。絵って人の感情を動かすものでしょう。人の心を幸せにする絵を描きたいと思ってるの。なのに、お応え出来なくて申し訳無いわね」

「いいえ」

女性は笑顔を見せた。頼子が釣銭と絵ハガキが入った小さな紙袋を手渡すと、ちらと僕の方へ視線を送ったが改めて頼子に頭を下げると静かに店を出て行った。

「さてと、くり出しましょうか。明日迄借りてるの、ここ。後片付けは明日すればいいわ。でもちょっとお金の計算だけさせてね」

何から何まで一人でやっているのか。たくましい頼子の姿が眩しい位だ。そんな頼子がレジの金額を確認している間、僕は一番に気に入った絵の前に戻り、そして立ち尽くした。僕はまたしても頼子に嫉妬していた。高校時代と変わらないではないか。可笑しくて、悔しくて、だが、ちょっとだけ幸せな気分だ。帰り支度を終えた頼子が晴れ晴れとした笑顔で颯爽と現れると僕はただ笑顔になるしかなかった。

「さてと、飲んで食べるわよ」

と、頼子が言った。夕刻へと向かう街にはゆっくりと流れる人の波が出来始めていた。外気はまだ熱を帯びている。

 

第3回へつづく

「時の朱色」第3回はこちら↓ ©

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< この小説はフィクションです >

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