小説 「時の朱色」 第4回 再会

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銀杏の葉が色付き始めた九月下旬、冷めない暑さは真昼の日差しをまだ白く染めていた。夕方になってようやく息が出来る程に外気が冷めると、金曜のせいか仕事帰りに何処かへ寄り道をしたくなった。暮れゆく街はひしめく音の矢に打たれていた。街の動きもどこか違って見える。特に用事があるという訳でも無く、思い付いた先は、あの図書館だった。閉館は確か九時だった。

大通りから逸れた図書館への道は驚くほどひっそりとしている。有栖川公園の樹木が黒々と道を囲み、飾り気の無いその白い壁には明かりが見える。僕はちょっとほっとして歩く速度を緩めた。こんな金曜もたまにはいいものだと思う。入り口受付で入館証を受け取り透明なバッグを借りた。貴重品はこの透明なバッグに入れて館内を持ち歩くのだ。ロッカールームに鞄を預け小さなゲートを抜けた。思っていたより混んでいる。パソコンで書籍検索をしてみるとウォーターハウスの蔵書は多くなかった。ウォーターハウスについての文献は少ない事は知っていたが、これ程とは予想外である。三階のB棚にあったのは画集の事で、その場所は僕は既に知っていたから。

初めてウォーターハウスの絵を目にしたのはロンドンのテートギャラリーだった。一目惚れだった。その作家について知ったのはそれから暫くしてからだ。才能という化け物に嫉妬するのはどうやら自分の才能ではないか。ウォーターハウスの静かな眼差しを目にする度に僕は自分の存在を思い知らされるのだ。頼子と会う時のように。それでも僕は何度でもウォーターハウスに会ってしまう。会いに来るのだから。この絵に会いに。一ページ目をそっと捲ると神経質そうなウォーターハウスのポートレイトが現れる。ページをもう一枚捲れば、悲しみの運命へと船を出すシャーロット姫と出会う。物語の中の女達は、沈黙と叫びを繰り返している。

「本当の君は何処にいるの?」

思わずそう訊いてしまいたくなる。

「それを知ってどうするの?」

その美しさの中にあるのは静かなる狂気、秘められた激情。

「私に関わらないで」

そう言われているような気がする。そうして、術無くページを捲るのだ。こちらの存在を知りながらも自分達を目撃させている絵の中の女達の目的は何処か秘密の場所にあるようなそんな気さえする。見えない運命の鍵を一緒に探そうとしてしまいたくなる。彼女達に会う者は心の一部を救い上げられ結末の無い危うい感覚を手渡される。感情の不確かな部分を知るのだ。ウォーターハウス、一体どんな人物だったのだろう。僕にはその瞳が求めるものがまるで分からない。解説は彼について語っているだろうか。英文の塊の中に僕は落ちてみたが、拾う文字は掌からするするとまた落ちた。文字を追うだけで時間は過ぎた。理解なんて出来たもんじゃない。それなのに一通り目を通そうと無駄な努力をした結果、一時間はあっという間に過ぎた。やれやれ、喉を潤しに五階のラウンジへ行こうとエレベーターの前でぼんやりと立ち尽くしていると、ふと右手から歩いて来る人影が視界の中に入って来た。女性だった。その女性が僕の横を通り過ぎたのはあっという間だったのだが、その瞬間、その空気は僕の五感以外の何かに触れた。とでも言おうか。僕は衝動的に振り返っていた。そして、思わず声を上げそうになった。まさか。しかし、確かにあの女性だと思った。僕は、その後を追った。

「失礼ですが、銀座の個展でお会いした、」

女性は一瞬足を止めて驚いた表情をしたが、僕の顔を見ると数秒してやっとはっとした表情になり何かを言いかけた。

「僕の事、覚えてますか?」

と、僕は、言った。

「ええ」

「そう」

「びっくりしました。私の事を覚えてるなんて」

「まあ」

「お一人ですか」

「そう、一人。残念ながら頼子はいない」

女性は、え?という表情で、

「頼子って、あの画家の方の?」

と、言った。

「頼子とは高校の時の同級生」

「だから、」

「今日は、調べもの?」

と、僕は、訊いた。

女性は、首をちょっと傾げて笑った。

「暇だったから。面白いものないかなと思って。以前の仕事場がこの近くにあってたまに来てたんです。で、今も気が向くと来てるっていうか」

「一人?」

「ええ、まあ」

「そう。あ、今五階のラウンジに行く所なんだけど、よかったら一息つきませんか?」

「帰ろうかと思っていたんですけど。じゃあ、折角だからご一緒させてもらいます」

女性は、社交辞令的な笑顔を見せた。エレベーターの中で僕達は互いの名前を知った。森潤子、それがその女性の名前だった。ラウンジの食事は既に終了していて僕達は窓際の席でコーヒーを飲んだ。

「僕も昔絵を描いていて、今日は絵に会いに来たって事情なんです。大きな画集があるから。ここ」

「絵って、どんな?」

「ウォーターハウスっていうイギリスの画家の絵でね」

「あ、知ってます。私も好き」

「そう」

「人の隠された心を描いてるような」

「んん、そう」

「ああいう絵、日本にはなかなか無い様な気がする」

「ギリシャ神話や物語をモチーフにしてるから」

「感情の絵画っていうのかしら」

「上手い事言うね」

「そうですか?人間て感情の生き物だから」

「確かに」

「私、深見さんの絵を見て、ちょっと勇気付けられたんです。何て言ったらいいのかしら、

懐かしい人の心に出逢えた様な」

「頼子が聞いたら泣いて喜ぶな」

「深見さんて素敵な方ですね」

「ああ。高校の頃と大して変わってないけどね。ああ見えて結構おっちょこちょいでね。ただの伝言メモをラブレターだと勘違いして思いっきり挙動不審になったり、饅頭って漢字、読めなかったんだ。思いっきりまんとうって読んで大笑い。高校の時の話だけど」

森潤子は、笑みを浮かべながら僕の話を訊いていた。そう言えば、と、思い出した。

「頼子のアトリエに行った?」

と、僕は、訊いた。

「いえ」

「ま、気が向いたら行ったらいいよ」

「本当に行っていいのかしら」

「本人がいいって言ってるんだからいいんだろう。そういう所は建前じゃなく言ってると思う」

「それじゃあ、行ってみようかな」

「ああ。何だったら僕も一緒に行くよ」

「大丈夫です。一人で行けます」

「失礼。ちょっと気を利かせたつもりで言ってみただけだから」

「中村さんて、面白い」

「頼子の友人だからね」

森潤子は、笑いを吹いた。

「お聞きしていいのかしら?」

「何?」

「中村さん、どんな仕事をされてるのかと思って」

「唸る仕事だよ。毎日、会社でパソコンに向かって唸ってる」

「唸ってる?」

「財務の仕事をしてる。どうしてこんな性に合わない事をしてるのか自分でも不思議だけどね。世界にはばたけ、なんてキャッチコピーにころっとひっかかってさ。入社の時に。小さな商社だから何でもやらされるんだ」

「私には会社員を楽しむ才能が無いから分からないけど、中村さんが今それをやってるって事は中村さんがそれが出来るからって事でしょ」

「どうなのかな」

「出来ない事はやってないわ」

「まあね」

「何だか、救いの神が必要って顔してる」

「その通り」

「じゃ、中村さんにとって幸せって?」

「ウォーターハウスの様な才能を持っていたら、しあわせかな?」

「そう?」

「多分」

「日本人をあんな風に描いたらちょっと怖いと思うけど」

「日本女性が怖いって事?」

「中村さん、やっぱり面白い。そうね、日本人て心の中を見せない人が多いから。それを表に出したら怖いかも」

「なるほど」

「中村さんは、どんな絵を描いていたの?」

「風景が多かったかな」

「どんな感じの?ゴッホとか?それともモネ風?」

「何風ってのは無いけど、学生の頃憧れていたのは田中一村だったかな」

「あの魂の画家って感じの?」

「話が通じてうれしいよ」

「一応、好きな世界だから」

「森さんは何をしてるの?」

「仕事?」

「差支えなければ」

「只今失業中。先月会社を辞めたの」

「そう」

「そう」

僕は、ぬるくなったコーヒーを一口飲んだ。

「嫌になって辞めるってダメよね。でも、何を考えても嫌になって。添加物だらけの食べ物を毎日毎日日本中に送って。添加物位じゃあ死なないから、なんて言う人の指示を受けながら仕事するのも嫌になって。現在仕事無し」

「そう」

「どうしようかなあ」

「人生は一回きりだ。やりたい事を選べばいいよ」

「やりたい事?旅にでも出ようかな。お金に困ったら路上で歌を歌うの。私、割と歌が上手いの。晴れた日は歩いて、雨の日は、辿り着いた町の図書館で一日本を読むの。夜になったら夜行列車で次の町を目指して。そして、気に入った町に出逢ったら、郵便局の近くのアパートを借りて暮らすの。郵便局って、近くにあると便利でしょ」

「仕事は?」

「旅の途中で決めるの」

森潤子は、そんな事を言って肩をすくめて見せた。

第5回へつづく

 

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< この小説はフィクションです >

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